………。
放課後、クラスのホームルームが長引いたため、いつもより少し遅れて文芸部の部室に行くと涼宮ハルヒが既にそこにいた。彼女は窓際の団長席に座り、文庫本を熱心に読んでいる。あの本、わたしのものではない。これはもしや上位存在の……。
ああ有希、今日はいつもより遅いのね。この本、あたしの席に置いてあったけど、有希の?
違う。
あら、違うの? じゃあ、キョンのかしら? 挿絵にあいつの好きそうなイラストがあるわ。巻頭のこれなんか───ほら、きわどいビキニの女の子! まったくなんでこんなのがいいのかしら。
彼に二次元キャラクターを偏愛する性癖はない。
そう? ま、こんなのより、みくるちゃんのコスプレ姿を見てデレデレしているほうが健全かもしれないわね。
どんな話?
ん?
本。
この本のこと?
興味がある。
そうねぇ。舞台は架空の世界よ。いわゆる異世界ファンタジーかしら。ファンタジーといっても魔法とか剣とかは出てこなくて、魔法をアレンジしたような科学技術が発達しているの。技術レベルとしては第二次世界大戦くらいかな。
その世界では西洋風の神聖レヴァーム皇国と戦前の日本みたいな天ツ上国が戦争をしているの。ヒロインのファナはレヴァーム皇太子の婚約者なんだけど、住んでいる土地が敵の攻撃を受けて危ない状況になっちゃったわけ。婚約者の危機に皇子は大々的に救出作戦を実施するけどこれが大失敗。そこで目立たないようにこっそり姫を移送しようと、小型の飛行艇で単独渡航する作戦が実行されることになった。その飛行艇のパイロットが主人公のシャルル。高貴な生まれのお姫様と卑しい傭兵の青年との二人きりの逃避行。こんないかにもなシチュエーションで起こることといったら───解るわよね、有希。
………。
わたしには解らなかった。情報統合思念体がわたしを地球上に構成して三年……いや、今はもう四年が経とうとしていたが、人間の男女間に生じる感情とそれに伴う行動を完全に理解するにはいたっていない。いや違う。わたしは気付かない振りをしているだけ。彼の姿を捉えたとき、彼の視線を感じたとき、彼の声を聞いたとき、わたしは胸の奥が穏やかな感覚に満たされると同時にひどく落ち着かない気持ちになる。これが人間が恋と呼んでいる感情なのだろうか。わたしには解らない。エラー。上手く言語化できない。
わたしが応えないでいると涼宮ハルヒは件の文庫本に意識を戻した。その表情から物語の世界に没頭しているのが見て取れる。わたしも自分の鞄から読みかけの本を取り出し、人間が編み出した妄想と現実の境界が曖昧な世界へと心を泳がせた。
下校時間が近付いた。他の三人は部室に来ないのだろうか。わたしは周囲の環境情報を走査し、彼らの現在地を確かめた。古泉一樹は学校にいなかった。走査範囲を広げるとどうやら機関の人間と会っているらしい。朝比奈みくるは同級生と教室でクラスの仕事をしている。彼は……特別教室で補習を受けているようだ。テストの点数が悪かったのだろうか。今度情報操作して……いや、それでは彼のためにならない。
ねえ、有希。
………なに?
運命って変えられないのかしら。
………。
人間は自分の手の届く範囲でしか生きちゃいけないのかな? 欲しいものを手に入れるために周囲に張り巡らされた壁を打ち破らなければならないとき、その壁がすごく高くて、頑丈で、とても壊せそうになかったら、諦めるしかないのかな?
多くの人間がそのように生きていると思われる。
そうね。でもあたしはそんなのは嫌。あたしは待っているだけの女じゃない。運命に流されて普通でつまらない人生を送る阿呆でもない。どんな頑丈な壁があってもあたしは諦めない。それを打ち破って欲しいものを手に入れて見せる。あたしは誰よりも特別でありたい。そのためにSOS団を作ったの。願っても叶わない、祈っても変わらない世界を変えたい。この世界を大いに盛り上げて、そして……
あなたなら変えられる。
!?
あなたは望んだものを手に入れる。
でも運命に身をゆだねて生きている人たちも精一杯生きている。その生き方を否定したり見下すべきではない。諦めることが最良の選択であることもある。
………。
………。
ごめんなさい、有希。変なこと聞いちゃって。
いい。
あ、もうこんな時間か。ていうか、他のみんなはどうして部室に来ないわけ?
もう下校時間。帰宅するべき。
そうね、あたし先に帰るね。また明日。
また。
涼宮ハルヒは鞄を肩に掛けると部室から出ていった。団長席には、彼女が読んでいた文庫本が残されていた。わたしはその本を手に取るとページをめくった。運命? 彼女はこの本になにを見つけたのだろう。
わたしは涼宮ハルヒを監視するために情報統合思念体によって作られた存在。その運命からは決して逃れられない。だけど、その運命がわたしと彼を引き合わせた。運命の渦中にあったからこそ今のわたしがある。十二月のあの日、彼が言った言葉はわたしの宝物、決して忘れない。人間とわたしたちは相容れないかもしれない。想いは伝わらないかもしれない。だとしてもわたしは運命を受け入れる。何が起ころうとも彼とSOS団を守る。それがわたしにできる最良の選択だと思うから。
『とある飛空士への追憶』はちょっとマイナーなレーベル「ガガガ文庫」から出版されているライトノベルです。ぶっちゃけ表紙買いしてしまったんですが、読後は、せつない気持ちになると同時にすがすがしい気分に包まれました。王道を行くストーリー、覆らない運命。「ユー、逃げちゃいなよ、ファナと一緒に!」と何度思ったことか。空戦シーンも「どっかーん、ばりばり」とかせずにしっかり描写されています。隠れた良作。
上のハルヒパートでは、ハルヒと長門に、ファナとシャルルの心情を重ねています。涼宮ハルヒシリーズを読んでいるとより楽しめるでしょう(笑)
▼出演▲
SOS団のみなさん